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東日本大震災、被災地へ(1)「被災地へ行ってくる」

  • 2011.05.21 Saturday
  • 22:55
実は、先週末の土日を使って、
甚大な津波の被害を及ぼした被災地のひとつ、
宮城県の南三陸町に行ってきました。

なぜこのタイミングでいったのか?
何をして、何を見て来たのか、
5回にわたって綴っていきたいと思います。



1)「被災地へ行ってくる」

「被災地へ行ってくる」

そうスタッフに告げたのは、
東日本大震災が起きた翌日3月12日のことだった。


もう居ても立っても居られなくて、テレビ画面を通じて
とかではなく、自分の目で、今日本で起こってる
この現実を確かめたかった。
実際にそれを見て伝えるということも自分の役目
じゃないかと思った。

すぐさま交通機関を調べたら、どうやら青森県の三沢空港
までは飛行機が飛んでいるっていうことはわかったので、
そこからどうやって被災地まで行くか必死で考えていた。
しかし、息巻いてスタッフと話しているうちに、
すこし冷静になってきて、その衝動が、(今のこの時点では)
エゴに近いものだということに気がついた。

もし今行っても自分は何も出来ない。
行ったところで、わけもわからず、真っ暗な瓦礫の山の中
を彷徨い、いつのまにか誰かに助けを求めたりして、
全くやっかいなお荷物のような存在になってしまうに
違いない。悲しいかなそれが自分の現実。

では、自分がいるこの場所で何かできることは無いのか…

考え抜いた末に、震災3日後の3月14日に始めたのが、
原宿から復活していく街の状況、原宿からカルチャーを
発信する活動「MIGHTY HARAJUKU PROJECT」だった。
一方「6%DOKIDOKI」の店舗では、既に被災地入りして
いた知り合いのボランティア団体にお願いして、
お客様から預かった支援物資を現地へ届けてもらった。

その後、MIGHTY HARAJUKU PROJECTは世界的に
広がりを見せ、JapanTimesや海外のメディアでも取り
上げられるようになった。

4月のアメリカ西海岸ツアーでは、機会があれば
義援金を募り、たくさんの人達が日本の復興の為に
シンパシーを抱いてくれ、プロジェクトを通して応援
してくれた。

図らずも、そのツアーの間、ほんの2週間ばかりだけど、
日本を離れることになった僕は、冷静に(日本人として)
自分の置かれている状況、日本の現状を見直すことが
出来た。

そして、ツアー最後に寄った街はニューヨーク。
僕は9.11の年の年末に、グランドゼロを訪れている。
深くえぐられたWTC跡地に、地上に剥き出しの
地下鉄の駅。まさかそれをはるかに越える規模の
大惨事が日本で起きてしまうとは・・・。

「やっぱり、自分の国で起きている現実は、
 自分の目で確かめなくてはいけない」


以前、「H.U.G. カワイイは世界を救う!」という
イベントを主催した時、僕は単独でカンボジアへ
行った。そのイベントの入場料500円のうち20円を、
世界の子供のためのワクチン代として募金することに
したからだ。20円でも、お客様から貰うなら、
きちんとお金がワクチンに変わる様子を自分の目で
見届けないと、納得がいかない。
そんな単純な理由だった。

カンボジアへは、ビデオカメラ一台もって、
一般も参加できるNPOのツアーにもぐりこみ、
ダメ元で現地で直接交渉した結果、奇跡的に
ワクチンの貯蔵庫までたどり着くことが出来た。
「これが皆さんのお金で買えるワクチンです!」
イベント会場で流したビデオの中で、
僕はそう言ってワクチンを手に取って紹介した。

その行動が評価され、
その半年後にミャンマー政府公認の海外視察ツアーに
誘って頂いた。行ったのは、サイクロン被害を受けた
直後のミャンマー。今度は実際に貯蔵庫からワクチンを
現地の接種会場に届けて、自分の手で、現地の子供に
ワクチンを投与させてもらった。


そして、今回起きた、東日本大震災。

発起人となり、たくさんの人に協力してもらって
支援物資や義援金を集めたり文化復興を訴えた活動を
計画したりしているのに、なぜ故、まだ現地の状況を
自分の目で確認できていないのか?
しかも、今度は自分の国のことじゃないか。

僕にとって、それはすごく筋が通っていないことだった。


「被災地へ行ってくる」

あのときと同じようにスタッフに告げた。
僕はニュースで、被災地迄の交通機関が復旧したらしい、
という新情報を手に入れていた。

沈黙の後、スタッフからは
「行きましょう。」
という言葉が返って来た。

「むしろ、行かなきゃダメでしょう。」


5/12(木)
最初の「被災地へ行ってくる」から、ちょうど2カ月。
やっと僕は被災地行きを決定した。
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